ゆれる夏、見つめる夏

今年の夏は、少しだけ自分の中で、揺れながら何故か’私が止まっている’のを感じます。


何もしない日が何日かあると、我ながらワーカーホリックと思うのですが、あせりや困惑を感じ始めます。でもこの数日は私の本当の心の声を聞くために神様が与えてくれた時間なのかもしれません。


先日、思うところがあり、初めてエサレンマッサージを受けたのです。
まだ若いセラピストの方でしたが、とてもバランスのとれた純粋なハートの持ち主でした。
このところどんなスパでどんなトリートメントを受けても何だか表面だけの潤いしか受け取れなかったのに、セラピストとしての経験はまだ浅いかもしれないその人の心は、海のような静かさがありました。

ゆったりとした呼吸とロングストロークで、ただひたすら体の感覚を通してやってくる自分の命の流れを感じていると、ふと両耳を掌で包まれました。暖かいエネルギーを感じていると遠いところから私の名前を呼ぶ声がしました。
小さい頃から、霊的なものを耳から感じることが多かった私ですが、小さい頃はいつもどこか少し怖い感覚がありました。
でもその声は本当に懐かしくて、自分の中から聞こえてくるようにとても近い感覚。そして
「もっとこっちにいらっしゃい。何故いつも遠くへ行ってしまうの?」
と言っているのです。不思議に涙が止め処も無く流れ、嗚咽になってしまいました。
私の中にいる、私をいつも導いている光の存在なのだとわかりました。
これまでに何度も瞑想を通し、コンタクトをとっていたはずの私自身であり、光の存在。

でも最近の自分はサバイバルのテーマにはまり込みジタバタしていて、求めるのは自分の中の大いなる存在ではなく、もっと他の何か超越した存在からの答えを求めていたことに気づきました。そのことに気づくと、やがて二人でたくさんの蓮の花が咲いているところを手を繋ぎながらフワフワ歩いていました。

私の体の右側は赤い彼岸花のような花、左側は白い百合の花、そして頭はやはり蓮の花の映像が浮かび上がってきました。


そして左手のマッサージを受けながらまたボロボロ泣いている私がいるのです。「与えることばかりで受け取ることをしてこなかったのでしょうか」と言ってくれたセラピストさんの言葉に、私の心の癖がまた一つ浮かび上がってきたのでした。


私の人生を振り返るとき。
中学生の時から誰かのために何かがしたいと強く思っていた、妙に「いい子」だった私。
でも誰かのために頑張ることで、本当の自分から遠ざかっていた自分に気づいて。
そして今度は自分を幸せにするのは自分だからと、また頑張っていた自分。

いつまでたっても本当のありのままの自分を受け入れられない私がいるのかもしれません。

いつも、このままではダメという感覚。
自分はまだまだ何かが足りないという感覚。
いつも光と繋がっていたいし、メッセージを受け取って、必要な人に伝えたい。
でもとっても普通でありたい。
お金のために、この仕事をしたくない。
あまりにスピリチュアルすぎる人に嫌悪感を感じ、それでお金を作っている不自然さに憤りさえ感じ。。。。
あまりに商業化されていくこの業界の中で、私はやっていっていいのか。。。etc etc



マッサージを受けたことで、自分の自我や闇の部分が浮き彫りになってきているのを感じます。

でもジタバタしてみるのって、やっぱりとても大切なのかもしれません。
こんな見たくない感情と向き合うことも、こんなダメな自分を見て、そんな自分を認めることも。

そして
じゃあ、私はどうしたいのかという原点に戻ること。



私の中にいる、大きな全てと繋がっている本当の自分。
そして全ての人の中にあって、みんなが繋がっている事実。


私はどんな形で大きな宇宙の役割を果たしていくのでしょう。


流れる夏雲に聞いてみました。
でも何も言ってはくれません。
きっと、深いところではもうわかっているんですね。


愛と感謝をこめて。。。


あゆーら
ゆれる夏、見つめる夏_d0085018_148257.jpg

by ayura-smile | 2006-08-14 01:50

変容の時・・・・しなやかな心でいつでもどんな時でも愛に向かって「今ここ」から始めていきましょう☆


by 安生裕子(あんじょうゆうこ)
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