くつろぐということ
2007年 09月 15日
このところ手足の関節が痛いなぁ・・・と思って、内側を感じていたら
なんだか頑張してしまっていた自分に気付かされました。
今日は、風が気持ちいいな~。
ありのままでいること
ありのままに在ること
自分らしく生きてる自分がとても好きになって、
さあ、また張り切って楽しむぞぉ~
なんて思っていたら、間接の痛みが治らない・・・・・
「ありのまま」じゃなく、頑張ってしまってた自分がいたんだね・・・
「なりたい自分になろうとしていた」のかもしれないな・・・なんてね。
体の緊張が教えてくれる在り方
体はすごいね。
何でも知ってる。
oshoの言葉に
どんなプロセスももっとのんびりしたものにしなさい。
急いだり、焦ったりしないことだ。
まるで永遠の時があるかのように振舞いなさい
-じっさい、永遠の時間があるのだから。
ものごとに始まりと終わりがあるとしたら、私達はいつでもここにいるし、
いちばん最後までここにいることだろう。
だが実際には、始めもなければ終わりもない。私達はいつでもここにいたし
いつまでもここにいつづけるだろう。
形は変わりつづけるが、本質は変わらない。衣装は変わっていくが
本質は変わらない。
緊張とは、恐れ、疑いだ。緊張とは、自分を守ろうとする、安全でいようとする、
安心していようとする絶えざる努力だ。
緊張とは、明日のために、あるいは来生のために今準備することだ。
-あなたは明日を恐れているので現実に直面することができず、だから
準備をする。.....
緊張とは、ほんとうに生きることなくその傍らを通り過ぎてしまった過去のことだ。
そのわだかまりが残っていて、いまに持ち越されて、自分にまとわりついている。
(中略)
人間を除けば、ほかの全存在がダンスを踊っている。
全存在がとてもくつろいだ動きの中にある。
確かに動いているが、それは完全にくつろいだものなのだ。
木々は育ち、小鳥はさえずり、川は流れ、星ぼしは動いている。
あらゆるものがくつろぎの中で進んでいく。急ぎも、焦りも、心配も、疲れもない。
人間だけは例外だ。人間は自分の心の被害者になってる。
(後略)
ずっと・・どこかで焦っていたね。
本当の自分らしさを形にしたくて・・・
自分らしさを追求していたら、自分でなくなってしまってた???・・・(笑)
体が教えてくれる私の在り方。
体が、心が、ハートが魂が、本当にくつろいだ時、
人生がダンスになり、光になるんだね